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「真田一族の歴史がよぉ〜くわかる本」 関東甲信越編

第1章 真田氏の発祥と真田地方
海野氏への従属


1. 実相院  長野県上田市真田町傍陽尾

真田氏の発祥については不明な部分が多い。
古代「国牧」(信濃国が経営する牧場)の経営者であったと見られる真田氏は中央の政権が衰えてくると「私牧」となり、それを基盤として土豪となり、成長していく。
諸説あるが、この実相院周辺が真田町の中でも真田氏が最初に本拠をかまえたところではないか?と言われている。
この実相院は天台宗の古刹で、崖の上に建てられた観音堂や、以前は蛙合戦が盛んだった蓮池など見どころが多い。


2. 松尾古城  長野県上田市真田町角間

その後、真田氏は中世に入り、東信濃の名門として栄えた滋野一族の中の三家の一つ、海野氏の系統を引き継いだ。
1400年、大塔古要害で行われたという合戦に「実田(さなだ)氏参戦」と真田の名が初めて文献に記される。
この頃には、この地方に住む有力武将として真田氏は活躍し始めていたと推測される。
松尾古城は、真田氏が土豪としていた頃に造った最初の城(一説には横尾城が最初とも言われているが・・・)とされ、左に神川(かんがわ)、右に角間川があり、谷を押さえる重要な地点に位置する。小さな城だが場所としては非常によく、遠見番所跡と称する所もあり、ここからは小県郡のみならず上州側まで見渡せる。物見を兼ねたノロシ台としてのちの幸隆、昌幸も使用していたと思われる。


  
                          
横尾城跡


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3. 安智羅明神  長野県上田市真田町角間

松尾古城の南麓一帯は真田氏の古い居館跡(日向の館)と伝えられる所で、ここに安智羅明神や阿弥陀堂があり、周辺には多くの石塔群も点在している。この明神様には幸隆または幸村の少年時代と伝えられる木像(あんちら様)が安置されていた。また、かつてここには真田氏の菩提所であったと伝えられる「常福院」と呼ばれた寺院が存在していたことが記録に見られる。

  
                        
 あんちら様


4. 日向畑(ひなたばた)遺跡  長野県上田市真田町角間

この遺跡はちょうどその常福院の境内に当たる場所と見られるが、長い年月のうちに、山極の畑となっていたところで発見された。
室町期から戦国期にかけてのものと見られる火葬骨を埋葬した墳墓跡で、全体として23ヵ所の納骨遺構が確認されている。出土した時、石はバラバラの状態で、何者かによって壊された形跡があった。
真田氏は一時上州に逃げ延びていた時期がある。
墓地を壊すのは新しい占領者が前占領者の影を一掃して支配者が変わったことを示す行為として戦さの習しだったことから察すると、この墓所は真田氏に関係のあるものではないかと思われる。


5. 角間渓谷  長野県上田市真田町角間

烏帽子岳北山麓の長さ4kmにおよぶ大渓谷で、角間川の両岸に「鬼が城」「鬼の門」222段の石段の上に建つ「岩屋観音」など切り立った岩壁が続く。
断崖に燃え立つ紅葉は県下でも有数の景勝地として知られ、渓谷の入口には真田一族の隠し湯として名高い角間温泉岩屋館(一軒宿)が湯けむりを上げている。この険しい地形を利用して真田忍軍が修行したとの説もあり、周囲には幽玄の趣も漂っている。


  


6. 山家の館跡  長野県上田市真田町真田

真田氏が松尾古城を構えていた頃、屋敷だったと思われる所に前述の「日向の館」があるが、ここはもう一つの推定地、山家の館跡。山家神社の近く南側にあり、今は住宅地となっているが、古銭がまとまって出土したり、現在も流れている用水、堀跡と思われる窪地が見受けられるなど当時を想像するよすがは残されている。石垣の段差も当時のものだという。

7. 山家(やまが)神社  長野県上田市真田町真田

山家神社は平安期の延喜式にものっている古社で「白山寺」「蓮華童子院」などとも呼ばれた。奥宮は北方の四阿山(あずまやさん)頂にある。この神社には永禄5年(1562年)幸隆・信綱父子が奥宮の社殿を修復したと記述のあるもの、天正二年、三年の信綱。昌幸の安堵状など真田氏の発祥に関係する古文書など、貴重な資料が数多く保存されている。
このお宮の駒形社と同じものが上田市常田の「科野大宮社」にもある。昌幸が上田築城の時、移したものと思われる。
神川流域一帯の人々に尊崇されていたこの古社を真田氏も手厚く保護していたらしい。

8. 真田氏本城  長野県上田市真田町十林寺

松尾古城のあと、幸隆は、周辺の砥石城、矢沢城と共にこの城を築いたとされる。(実際はもっと古くからあった?のかもしれない)この城は真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれ、昌幸は上田城を築くまではここを本城として居城した。真田の郷のほぼ真ん中の小高い山の上に造られ、真田の郷、上田方面、上州街道をも一望できる。本郭、二の郭、三の郭と段差を設けながら延び、仕切られ、北側は断崖になっている。
規模も大きく、周辺城跡群の位置関係からみても真田氏の一大中心として本城の役目を充分に担っていた城といえる。水を引いていた堰跡なども見られ、自然の地形を巧みに利用した真田氏の優れた築城技術が伺える。

   
                       本城跡

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9. 真田氏館跡(御屋敷公園)  長野県上田市真田町本原御屋敷

昌幸が上田に城を築くまで真田一族が住んでいた居館跡といわれ、真田氏本城と結んで考える必要がある。地元では「お屋敷」と呼ばれているこの館が造られたのは幸隆の晩年か信綱の時代とされ、幸村もこの周辺の一郭で誕生したといわれている。(あるいは甲府か?)
中世豪族の遺構がほぼ完全な形で保存され、土塁、桝形、厩跡などが残る。
昌幸が勧請した皇大神社、復元された居館もあり、今では御屋敷公園として整備され、ツツジの名所としても親しまれている。


  
皇大神社                      土塁跡

10. 真田氏歴史館  長野県上田市真田町本原

御屋敷公園に隣接する。真田一族の戦いの跡や武具甲冑などの豊富な飼料が展示された歴史館。
NHK大河ドラマ「真田太平記」で昌幸・信幸・幸村が使った鎧も飾れている。


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